こんな光景を見るのは、もう何回目になるだろう。 部室に行く通路の途中で、校舎の影に立つ手塚を見つけた。 もちろん一人でいたわけではなくて、制服姿の女の子と一緒だった。 どうしてあんなに無愛想で仏頂面がデフォルトのような男がモテるのだろうと常々不思議に思うけれど、不二がどんな感想を抱こうと事実として手塚はモテる。 そして、なにかと忙しい手塚を確実に捕まえるなら、放課後、部活に行く途中で声を掛けるのが一番有効だ。 だから、このような場面に出くわすのはそう珍しいことでもない。 なのに今回に限って妙に印象に残ったのは、彼女の髪が柔らかなキャラメル色をしていたからだ。 少し俯きがちの襟元に、短い茶の髪がさらさらと靡く。 その後姿に、鼓動が跳ねた。 部活の終わった後の部室で、手塚に声を掛けられた。今日の部活中、さりげなく避けていたことに気づいたらしい。 普段は、他人の視線になんて、少し鈍すぎるのじゃないかと思うくらいに無関心なくせに、こんなときばかり、嫌になる。 それとも、手塚に感付かれてしまうほど、不二の動揺が表れているということか。 どちらにしろ歓迎はできない。不二は舌打ちしたい気分になった。 手塚を煽るだけとは分かっていたが、そのときの不二は手塚の声に素直に応えてやる余裕はなく、続けて呼び掛けてくる手塚に対しぞんざいに相槌を返すだけで視線を合わせることをしなかった。 予想通り、手塚は不二の態度が気に入らなかったようで、鋭く睨みつけると同時に強引に腰を引かれた。 手塚を相手に、不二の抵抗はほとんど意味を成さない。せめてもの、と、不二は手塚の舌の侵入だけは許さなかった。 甘いのかと思った、と、手塚が言った。 瞬間、なんのことを言っているのか分からずにきょとんとした不二の顔を見て、手塚は苦く笑うと、不二の髪を指で梳きながら唇を寄せた。 キャラメルのような色をしているから、甘いのかと思った、と。 髪の毛の先まで神経が通ったかのように、体中に熱が伝播してたまらない気持ちになったのを覚えている。 手塚と人目を憚るような関係になったのは、13歳、中学2年に進級する前の春だった。 思えばもう2年になる。 長いのだろうか、短いのだろうか。 不二の主観で言えば、ここまでとても早かった。部活に充実していたせいもあってか、過ぎてみれば驚くほどあっという間だった。 だからかもしれない。 不二は自分で思うよりも、ずっと恋愛ごとに疎かったのだと後に反省した。 不二は、中学三年の夏に部活を引退し、それまでとは一変した緩やかな生活の中で、初めて手塚との関係に違和感を感じたのだ。 ひとたび疑念を持ってしまえば、それは表層に出てこなくともずっと胸の奥に蟠って正体不明の不快感を沸き起こした。 一度抱き合ったくらいで、などと手馴れた女のようなことを言うつもりはなかったが 、本当に、不二にはこの状況が理解できなった。 手塚が不二に見せる執着が、どうにもピンとこない。 手塚と自分の心が重なっているようには、どうしても思えない。 不二の気持ちは上滑りしてばかりで、手塚の気持ちとはどうしようもなくすれ違っているように感じられるのだ。 考えれば考えるほど、手塚との関係を続けていくことが苦痛になっていった。 以前一度だけ、不二はこのような自身の葛藤を手塚に吐露したことがある。 いつもほんにゃらとしていてその実よく人間を見ているクラスメートの菊丸に、最近手塚といるときの不二の様子が変わったと指摘されたからだ。 なんでもない風を装って当たり障りなく答えはしたものの、成功していた自信はない。それほどに動揺した。 打ち明けても良かったのではないかと、後に思い至った。 菊丸は、自他共に認める不二の親友である。そして不二とは比べようもなく寛大でおおらかな人柄であることも知っている。 不二に男の恋人がいたとして、ましてやそれがクラブメイトであったとしても、多少の動揺はあるにせよ、それまでの関係が瓦解してしまうことにはならないだろう。 菊丸は薄情な人間ではない。むしろ嬉々として相談に乗ってくれるはずだ。 そこまで確信していても、不二は手塚のことを菊丸に打ち明けることができなかった。 そして菊丸のことがあってから、不二は必要以上に周囲の自分を見る目が気になり始めた。その最たる人物は姉の由美子である。いつか気づかれるのではないかと。いつか、手塚のことに気づかれて姉に、親や友人に、奇異の目で見られるのではないかと。 開き直ってしまうほどの前向きさを、不二は手塚との関係に見出せなかった。 そして手塚との関係を黙ったまま続けていくことに、不二は言い表せない罪悪感を抱くようになっていった。それがどこに向かっているのか判らないまま、罪の意識 だけが不二の胸の中で肥大していく。 どうすればいいのか、わからない。 不二の話をそれまで黙って聞いていた手塚は、話がひと段落して不二が息を吐いた隙を突いて、突然距離を詰めた。驚く不二の抵抗を抑え、耳元で低く呟いた。 俺も、共犯だろう 不二としては、別れるつもりでこのような話を持ち出したのだが、口の端を歪めて細く笑う手塚にそのまま口を塞がれてしまい、なんとなく躱されてしまった。そして今も、別れ話を切り出すタイミングを掴めずに、結局ずるずると関係は続いている。 不二の腹の底に沈む不快感も、澱んだままぐるぐると存在し続けている。 眠る手塚の隣で、不二は考える。 あの女の子もきっと、手塚のこんなことをしたいのだろう。 なのに手塚の腕の中にいるのは、あのこでは無い。 自分が積極的に手塚との関係を望んでいるとは、不二にはどうしても思えない。 あのこの方が、いや、あのこで無くても、自分より相応しい、柔らかく手塚を包んでくれる相手がきっといる筈だ。 共犯だと、手塚は言ったけれど、不二を離さないのは手塚の方なのだけれど、不二はいつでも、そこにはいない誰かに謝っている。 2年前に不二の髪を撫でた手塚か、過去の自分自身か、嘘を付き続けている家族や友人か、手塚を好きだというあの女の子か、それとももっと別の、自分たちの関係を責める何かか。 それでも。 不二は手塚を置いて部屋を出る。扉に寄りかかると、さらりと耳から零れた髪が視界を掠める。 それでも、 手塚に抱きしめられれば、 不二には、手塚の名前を繰り返し呼ぶことしか出来ないのだ。 |
| /零を数える 2008/08/18 |